ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」という本を読んでいます。 2000年に出版された書籍ですが、「はじめに」の部分にこんな記述があります。
1950年代、1960年代のアメリカでは、パーティで会った人に何をしているかを聞けば、 ... (省略) ... 雇用主たる組織の名前が返ってきた。 当時のアメリカは今日の日本と同じだった。 ... (省略) ... ところが今日、アメリカでは「冶金学者です」「税務をやっています」「ソフトウェアの設計です」 と答えが返ってくる。 少なくともアメリカでは、知識労働者は、もはや自らのアイデンティティを雇用主たる組織に求めなくなっており、 専門領域への帰属意識をますます強めている。 今日では日本においてさえ、若い人たちが同じ傾向にある。
出版から10年以上が経過していますので、この傾向はより顕著になっているように思います。 なお、知識労働と言っても色々な種類がありますが、 物理的な機器に依存しない人は特にこの傾向が強いのかな、と感じます。 実験機材の購入に数億円が必要な研究領域では組織への依存度が高いでしょうし、 手術の執刀のように属人性が高い領域では個人への依存が高くなるでしょう。
自分が中学生だったときの国語の教科書 (出版社は忘れた) に「転石苔を生じず」という諺に関する文章がありました。 「苔」を捉える感覚が異なると諺のニュアンスも変わってしまう、という趣旨の内容だったと思います。 確か、日本人とイギリス人の対比だったはずです。 苔の美的価値を高く捉えれば石を転がさない方が良いでしょうし、 その逆であれば石は転がし続けた方が良いでしょう。
転職
何の脈絡もありませんが、ソフトウェア開発者の場合は雇用主にアイデンティティを求める必然性もない、 ということで、6月に転職して、数日前に無事に試用期間も終わりました。 たまには神宮外苑を歩いて通勤するのも悪くないなぁ、と思います。
実際に転職してみると、定期的な自己評価の必要性を実感します。 多くの会社では年に一度、あるいは半期や四半期に一度は社内の誰かと面談があるでしょうが、 それ以外にも、自分自身が何ができて何ができていないかを考えてみる良い機会でした。 これが整理されていないと、転職活動という側面では職務経歴書を作成できませんし、 通常の業務においてもジリ貧になってしまうでしょう。 10年ひとむかし、と言われることも多いですから、昔取ったなんとやらでは立ち行かなくなっていきます。 プログラマ35歳定年説?の一因もそこにあると考えています。
「プロ」という軸で考えると、サッカー選手だったら練習以外でもどこかの試合を観るでしょうし、 食事などにも気をつけるでしょう。 同じように、プロ意識に程度の違いこそあれ、知識労働者だったら業務時間以外でも 知識を蓄積/活用する方法を模索すべきだと言えます。 つまり、専門領域への帰属意識をますます強めていくことが、ひとつの競争戦略になります。
さて、ジョン・F・ケネディのことばに次のようなものがあります。 会社においても個々人が自立しなければならない、とも言えますね。
Ask not what your country can do for you, but ask what you can do for your country.
自分の場合は転職の前も後もソフトウェア開発者ですが、 新しい仕事ではバッチ処理や自然言語処理が必要になりそうです。 ここ数年で実用例が多数紹介され始めた分野です。 業務では使わなそうだけど周辺情報として知っておいた方が良いことはブログにメモしておこうかな、と思います。
(「業務で知り得た内容」は書きませんので、相変わらずニッチな話が多そうですが)
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